
新聞社や通信社の特派員がベトナムのサイゴン(現ホーチミン)に着いて最初にすることは、先輩に教えられたツードー通りの一角にある洋服屋でコレスポンデントシャツをつくることだ。化繊のカーキ地で半袖、大型のポケットがやたらいっぱいあるやつだ。料金を上乗せすれば3時間くらいでできあがる。もっとも、たいがいはオーダーした翌日には受け取れる。次に市内のあちこちにある通称「何でも屋」にも行くことになる。プラスチックの板を加工した看板や自動車のナンバープレート、打刻機を使って金具に文字や絵柄を刻印している。ここで特派員たちは細い小さなプレートに自分の名前を英文字で入れたプレートをつくる。これは店先でぶらぶらしているうちにできあがる。シャツにネームプレートをつけたら米軍の報道部に顔を出す。用意された書類に記入して写真といっしょに提出するとプレスカードと「NONCOMBATANT'S CERTIFICATE OF IDENTIFICATION」というカードを渡される。これでようやくツードー通りの角にあるプレスクラブに出入りできるベトナム特派員ということになる。 |
![]() |
![]() |
![]() プレスカンファレンスは、午後の昼寝、シエスタが終わった3時ごろから30分から1時間程度開かれる。米軍のプレスオフィサーから本日の戦闘状況から戦果、今後の作戦予定が発表され、このとき戦闘地帯へのプレスツアーの申し込みをする。 「何でも屋」では、それこそ何でも用が足りるので、何度も通うことになる。棚には、絵や文字やベトナムの地図を刻印したジッポーが山ほど積まれていた。プレスオフィスでも「ジッポーがひとつあればベトナムでは重宝する」と新入りの記者たちに教える者がいた。ポケットに入れていたジッポーに弾があたり命拾いした兵士、ヘリが墜落して通信機器を使えなくなったパイロットが、ジッポーをミラー代わりにしてレスキュー隊に信号を送ってサバイバルした話、配給されたレーションをジッポーで温めて食べたり、寒い時にジッポーopで暖を取ったなど、そうした話がいろいろあった。米軍海兵隊の第1団とともにジッポーは南ベトナムに上陸した。50万人以上の兵士たちが駐留したベトナム! |

![]() 「何でも屋」は兵士たちにPXからジッポーを買ってこさせて、それを引き取り刻印を入れて自分の店に並べて売った。 米兵たちも自分のジッポーに好きな図柄を指定して刻印させた。 ベトナム戦争終了後、しばらくした1975年に南ベトナムへ渡航できるようになると、ベトナム復興のために国連職員やNGOの人間たちがホーチミンの町に大勢入った。おそらく店主は替わっていたのだろうが、「何でも屋」は健在だった。そして彼らはそこで見つけたジッポーを買った。兵士たちが、刻ませたスラング混じりの言葉はリアルだった。悪態や個人の思いを託した文字は、インパクトがあった。傷だらけで、ガタがきている風防のジッポーを手にすれば、当然、その言葉を刻ませた持ち主たちのことを想像する。彼らにとってベトナムでの従軍期間、「ツアー」はどんなだったのだろうか。「ツアー」の帰り道は、自分の足で歩けたのか、担架に乗せられてか、車いすか、それとも黒いバッグに入って帰還したのだろうかと、考えずにはいられない。 |
![]() |

